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映画「受難」原作の書評(受難/文春文庫)

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2013年12月7日 ロードショー
映画「受難」公式サイト
☆☆☆
人気小説家、
姫野カオルコの直木賞最終候補作「受難」を衝撃の映画化!
性に悩める主人公を岩佐真悠子が体を張って熱演!!
むきだしの性をユーモアたっぷりに真正面から描き切る。
(パンフレットより)
☆☆☆

この小説に関しては、だんぜん「読んでから見る」がお得!「この話をいったいどうやって映像化したのだろう」とたのしめるから映画料金がソンしません。『受難』を読んだあとは、『ひと呼んでミツコ/集英社文庫』『終業式/角川文庫』など。詳しくは左メニューボタンの【著作リスト】【一冊読むならブックナビ】【書評紹介】をクリック。
『受難』文春文庫

 ●米原万里(読売新聞・’97・5・11付)

修道院育ちのフランチェス子は、在宅プログラマーとして、ひっそりと質素な生活をおくっ ている。
「彼女には男性をひきつけるものがまったく欠落していて」男たちは彼女がぞばにくるとやたら冷静な気分になって、「チンチンが懺悔しはじめる」。

当然三〇を過ぎた今も処女である彼女の膣に、ある日人面瘡が棲みついてしまった。「古賀 さん」と彼女が名付けた、恐ろしく口がたっしゃで意地悪な人面瘡 は日夜彼女を罵倒する。「おまえはヒツジにも劣る、蒟蒻にも劣る、南極2号にも劣る」……要するに女として無価値であると。かすかな自信まで還付泣きまで に叩きのめされながらも、彼女は贅沢を慎み神に感謝し、他人の幸せを自分の喜びとするけなげな生き方をつづける。だがこの奇妙な同棲は、彼女の日常に一種 のハリと変化をもたらす……。

一ページ目から最後のピリオドまでケタケタと声をたてて笑わせ、同時にヒタヒタとしみい るような悲しみを味わわせてくれた小説だ。しかも奇想天外な(おとぎ話「蛙の王子」を彷彿とさせる)オチによって、なんだか身も心も洗われるような気がし た。放送禁止用語とパロディが悪のりと思えるほど溢れかえる文面なのに、情報過多な現代における性愛の可能性とか、劣等感の本質とか、圧倒的な物量で押し 寄せる消費文明を前にいかに魂の安静を保つかなんて、今時ダサイほど生真面目な問題をいつのまにか考えさせる手並みは空恐ろしいほど。

この著者の作品は、この一冊が初体験で、たちまちファンになりその著作を全部読みたくなった。そのすべてに共通するのは、目線の低さと視野の広さ、旺盛な サービス精神とす清々しい高潔さ。漫画、テレビ、AVなどのマス・カルチャーからいわゆる真面目な芸術、文学、聖書にいたるまで、幅広く驚くべき吸収力で 蓄えた養分をもとに築き上げる虚構を通して著者が極めようとする一切の欺瞞を剥いだ真実、向こう見ずな率直さ。それが胸を打つ。(文藝春秋 1333円)


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 ●斎藤美奈子(朝日新聞 97年4月23日)

「女は子宮で考える」などと口にする人はさすがに減ったが、女性作家をほめるのに「女性ならではの感性」ってな言葉をつかう人はまだ多い。これだって、女 は理性ではなく感性で動く、という差別的なニュアンスを含んでいるのにね。さて、そんな彼らに評価させたら『軽いめまい』も、女性の感性にあふれた小説、 にされてしまうだろう。しかしこの場合は「女性ならではの知性」というのが正しいのである

……(中略)……

知性のありようも書き手によっていろいろ。『受難』のフランチェス子(なんてえ名前だ!)は修道院で育ち、若い娘らしい欲望は一切持たず、恋愛の経験もな い。あろうことがそんな彼女の陰部に人の顔そっくりの「できもの=人面瘡(そう)」ができる。彼女は彼(?)を古賀さんと呼び、二人(?)の奇態な同居生 活がはじまる。

有名なマンガを下敷きにしたこの長編は、ドタバタ喜劇になりそうでならない。超倫理的な女主人公と超偽悪的な古賀さんとのやりとりが、妙に覚めているせい かも。意表をつく結末には、思わず笑いころげるはず。『語る女たちの時代』は、

……(中略)……


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 ●村上貴史(オール讀物 97年6月号)

援助交際や売春など、性を巡る話題のつきない昨今だが、そうした言葉のまやかしに包まれ ない剥き出しの性を、極めて特異な女性を主役として描いたのが本 書だ。フランチェス子の左腕に出来た人面瘡は、やがて、彼女の性器せと移動した。寄生する場所は変わっても、彼女が「古賀さん」と呼ぶその男性人面瘡は相 変わらず彼女を罵りつづける。ダメ女と…。

ハイミスにして処女のフランチェス子は、古賀さんとの共同生活を続けていくなかで、いつしか自分がダメ女であり、男から女として認識されない存在であるこ とを当然とおもうようになる。彼女は在宅のフログラマーとして働いていたが、ある日、ふとしたきっかけで自宅をラブホテル代わりに友人にて提供するサービ スを始めた。この商売が人気を呼び、客が次々と増えていく。かくしてフランチェス子の孤独な生活は一変することになったのだが…。

本書の主役であるフランチェス子、男からは性欲の対象として見られない。それ故にに性器に人面瘡を飼っていても何の差し障りもない女である。彼女は、男の みならずバイブまで不能にする特殊能力を備えているし、さらに、愛や性をオブラートにくるんで表現することもできない。そういう徹底的にセックスとは無縁 なフランチェス子と「女は男の欲望をかき立ててこそ一人前」と主張する古賀さんとの「自問自答」を通じて、著者は、愛やセックスとは何かという問いを、真 正面からと句者に投げかけているのだ。

しかしながらとの問いかけは権威的ではなくさらりとしたユーモアに包まれており、読者をクスリと笑わせてくれる。 肩肘貼るのではなく、かろやかに愛と性をかたってみせるところが、姫野のしなやかさであり、したたかさである。

著者は、たとえば『レンタル』では高齢処女の性を描き、『バカさゆえ…』では漫画のパロディを通じてむき出しの性を戯的に排除しており、そうすることで従 来描いてきた愛や性を、より純粋な形で表現することに成功している。あなたも本書のピュアな性愛を読み、自分の性と愛ととに関する考え方につい手歩血度み つめなおしてみてはいかがだろうか。またあらたな自分が見つかるかもしれない。





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