実在のハルカさんにも声援をおくってくださった読者の方へ
2005・12・15  姫野カオルコ

 このたびの『ハルカ・エイティ』刊行にあたり、著者のみならず
モデルとなったハルカさんにも声援をおくってくださった大勢のみ
なさま、ありがとうございました。

 おかげさまで書評やインタビューがたくさん出ました。そのたび
に「あのラストのあとのハルカさんの生活も読みたい」「ハルカさ
んにいつまでもお元気でとおつたえください」といったかたちの声
援をいただきました。

 そのとき、私はなんとなくことばを濁しておりました。というの
は、あの小説の第二章を書いているときに、それまでとても元気だ
った彼女が突然、危篤になり、病院に救急車で行き、大手術をして
その後、ずーっとずーっと意識がもどらなくなったのです。それで
も、なんとかまだ息のあるうちにこの本をしあげ、手ににぎらせた
いと思い、六月から十月にかけて、机に向かいつづけました。

『ハルカ・エイティ』のなかのハルカの元気が、読む人にも伝染し
て元気になってもらいたかったので、こうしたことは伏せておいた
ほうがいいだろうと思っていました。

 本ができあがってしばらくしたころ、奇跡的に意識がもどったと
いうしらせがあり、新刊を持って私が病院に行ったときには、喉に
チューブが入ってしゃべれない状態ながら、目は、あの自転車に乗
ったセーラー服の絵や、ページを繰る私の指をちゃんと追って、「
このぶんなら、回復するのでは」と期待したほど顔色もよかったの
ですが……。

 おりしもハルカさんの85歳の誕生日に、『ハルカ・エイティ』
についての、出版業界内では或る大きなしらせがはいりました。そ
れを聞いて、ほっとしたのでしょうか、一週間後の今朝、静かにお
だやかに息をひきとりました。

 亡くなったことが、はっきりとした事実になった今、彼女が亡く
なったことは姪としては残念なのではありますが、ハルカさんに声
援をくださった大勢の方に、次のことをぜひおしらせしたい。

 彼女が危篤になった原因は、脳卒中とか癌とかではなく、老化に
ともなう自然な疲弊により、心臓の大血管が剥がれるというもので
す。元気な人にときにあるのだそうです。
 剥がれると、あちこちから出血します。ハルカさんはかぞえ85
歳にしてひとりで暮らしていました。自分で電話をして救急病院に
行ったのです。ほんとに最後までしっかりした女性でした。

 心臓の手術ですから、大手術です。年齢的に負担をかけます。助
かる見込みはきわめて低いというようなことを言われたらしいので
すが、ハルカさんは担架の上で、
「まあ、イチかパチか、しておくれなはれ」
 と言って手術にのぞんだそうです。最後まで茶目っ気のある女性
でした。

『ハルカ・エイティ』のラストシーンがあの年齢時で終わっている
のは、えんえんと長くするよりも、その後から冒頭のヒルトンホテ
ルのシーンまでの生活を、土坂亮太(ホテル「野ばら」にいっしょ
に行った男性)とのシーンで推して量っていただくほうがいいと判
断したためです。六十代も七十代も、ハルカさんはあのシーンの調
子で生活をエンジョイしたわけです。

 小説では、ハルカがタクシーの運転手さんからつきあってくれと
コクられたのは2002年のことになっていますが、じっさいは、
そのできごとは2005年、つまり今年のことです。
 そう。ハルカさんはほんとに最後まで、死ぬ年までナンパされる
くらい、最後まで、女としてチャーミングに暮らして、そして、今
朝、静かにおだやかに、恵ちゃん(娘の作中名)にみとられてこの
世を去りました。

 so happy  life in case of HARUKA

 この副題は文藝春秋の方がつけてくれたものですが、本当にこの
通りの人生で、その幸せなひかりで、たくさんの読者の方にひなた
ぼっこしてもらいたいと、あらためて今日、宮迫秋子は心より願う
しだいです。みなさん、御声援、本当にありがとうございました。