『リアル・シンデレラ』ができるまで

2010321 姫野カオルコ

 

 読者ならびに関係者各位。

久しぶりに長篇小説を上梓することができました。

 病気療養中はお見舞いをありがとうございました。

 また読売新聞の介護記事「ケアノート」や『もう私のことはわからないのだけれど』を読んでの、励ましのおたより、まことにありがとうございました。母親はこの二月末に他界いたしました。ご丁重なお悔やみ、いたみいります。厚く御礼申し上げます。

 

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 2006年の夏から2009年の夏まで体調を崩していた私でしたが、おかげさまで現在は良好です。

 07年から08年は、先行きがまったく見えず、どうなることかと思いましたが、みなさまの励ましで仕事に復帰することができました。手術も、検査中の予定より大がかりなものにはならずにすみました。

 

 昨夜(3/20)は春の嵐が吹き荒れました。が、朝には東京では晴れ間も見え、比較的穏やかな日曜を迎えています。

『リアル・シンデレラ』の泉ちゃんはラジオを聞くのが好きな人ですが、私も日曜の朝はTBSラジオで中澤有美子アナ(※注)に会えるのがたのしみです。

 彼女の笑い声を聞くと、暗い気分もバットで場外に吹き飛ばしてもらった気分になり、ラジオの前で彼女につられて笑ってしまっています。

 今、PCに向かっているのは彼女の声を聞いた直後です。明るい気分で、今日はこのたびの新刊長篇小説『リアル・シンデレラ』を書き終えるまでの、経緯をお話したく存じます。

 

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 読者をたのしませる(おもしろがらせる、おどろかせる、よろこばせる)具体的な方法は?

 まず担当編集者をたのしませること。

 なぜか。その作品の最初の読者が、対等編集者だから。「一人の担当編集者の後ろに百人の読者がいる」と思っているから。

 

 担当編集者から、書き手は書く力をもらいます。担当(編集)者のパワーがそのまま、その担当作品のパワーになります。これは私に限ったことではない。ものを0から創作して、商品(パブリックな場所で売る)にするとは、そういうことだと思うのです。

 

 なので、文芸(小説や随筆)にまったく興味のない人が担当だと大変です(※注2)。『リアル・シンデレラ』を担当して下さった光文社の小口稔さんはミューズ(芸術の神)のような編集者です。京都大学推理小説研究会出身。このたびは『リアル・シンデレラ』刊行まで、お世話になりました。ありがとうございました。

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小口さんから、二〇〇六年のある日、「小宝で連載を」と、ありがたい御依頼を受けました。「小宝」というのは文芸業界の略し方で『小説宝石』という文芸雑誌のことです。

 小口さんの提案は「一代記」でした。

「一代記……」

 私は物語を考えはじめました。

「その人の住んでいる所は……」

 大都市ではない。地方の町。どこの地方に……。強い方言がない地方がよい。ほとんど標準語に近いことばづかいの地方。

「そうだ長野県にしよう」

 小口さんが長野県出身(※注)だからです。ことばづかいを添削してもらえる。そして私は甲賀生れ。甲賀には甲賀三郎(江戸川乱歩と同時代の人気探偵小説家)がいます。琵琶湖と諏訪湖を結ぶミステリーがありました。

「それに小口太郎」

♪われ〜は うみの子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと〜♪の『琵琶湖周航の歌』の作詞者、小口太郎は諏訪出身です。京都大学に進学して、故郷の諏訪湖を偲びつつ琵琶湖周航の歌を作ったそうです。

 

「じゃあ、あの人は諏訪に住んでいるんじゃないかしら……」

〈あの人〉というのは……。私が25歳くらいのころに、ふっと頭に登場したキャラ。

 自宅があって、結婚しているのだけど、離れに一人で住んで、小女(こおんな)のような立場にある若い娘と、ときどき正月でもないのに羽根つきをしたり、独楽をまわして遊んでいる、〈あの人〉です。

 

〈あの人〉には、ずっと自作に主演してもらいたかったのです。でも、なかなか機会がなかった。

 

 私自身は、スーパーに買い物に行ったときとか、役所に印鑑証明書をとりに行ったときとか、新幹線に乗ってるときとか、なにげないときに〈あの人〉のことを思い出しては、

「こんな春先の雨の夕方なんかだと、〈あの人〉はきっと……」

 こんなことをしてるんだろうな、あんなことをしてるのかもしれないな、それともこんなことかな……と、車のクラクションや知人が呼びかける声も聞こえなくなるほど、彼女のすがたを追うことに夢中になってしまっていたのですけれど。

 でも、出演してもらう機会がなかった。彼女の住んでいる部屋の間取り図まで何枚も描いていたのに。

 

 25年たって、ようやく『リアル・シンデレラ』で主役に登板していただけることになりました。それが倉島泉(くらしま・せん)。泉(せん)ちゃんです。

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 こうして書き始めたまではよかったのですが……、冒頭のとおり、体調が徐々に悪くなってきて、しばらく休筆せざるを得なくなりました。

 回復して、「小宝」を読み返すと、やはり体調不良のせいか、文章が全体的に熟(こな)れておらず、すべてをやぶり捨てました(昨今はPCデータなので、「クリック捨てました」?)。

 

「さあ、一から書き直そう」

 と、タイトルから書き始めたのが『リアル・シンデレラ』です。 いつもラストまで書き終えてから、タイトルをつけてきた私でしが、今回ははじめて、タイトルから書き始めました。

 くらやみの中にポッと灯火がついたように、

「リアル・シンデレラ」

 ということばが浮んだのです。

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装丁はオフィスキントン。本文の文字の組みや字体の選定も、すべて同デザイナーの手によるものです。本ができあがったとき、「なんてきれいな装丁だろう」と感激しました。

 このすばらしい装丁は、すべてデザイナーのなせるわざで、私がリクエストしたのは、ポール・デルヴォーのみです。装丁の絵。

 

 ポール・デルヴォーはベルギーの画家です。原稿を書いているときに展覧会に行き、すっかり魅せられたのです。なんだかとりみだすほど魅せられました。

 

 根強いファンが日本にもいる画家ですが、ふしぎな絵です。小5くらいの女の子に「お嬢さんの絵を描いてごらんなさい」と言ったら描くような絵にも見える。ちょっとヘンなところのある絵です。

 

暗い所に、女の人がいる。その暗い所は、しかし、決して黄泉の国のような泥ついた所ではなく、あえていうなら、夢。

 ドリームランドとかドリーム宝くじ、とかいうときの抽象的な「夢」ではなく、ほんとに寝て見る夢。夢の中の色とかんしょくでできた所。

 そこにいる女の人は、きれいで笑っていて、でも手をのばすと目が醒めていなくなって、ベッドで半身を起こしたときには、「なんだか哀しい夢を見た」という印象が残っている。なのに、その哀しさはいやな気分ではない。哀しくても、また夢で彼女に会いたいと願いたくなる。

 

 ポール・デルヴォーは、駅や線路や電車の絵もよく描いていて、それは私が五歳以下のころに記憶に刻んだものを、次々に喚起させます。

 こうして彼の絵とともに『リアル・シンデレラ』を書き終えました。

「美しく清いものは、美しく清い。けれど、あまりにも美しく清いと、その愛しさ(かなしさ)に涙してしまうのも宿命である」

 ベルギーの箴言ですと、ここはしめくくっておきましょう。

泉(せん)ちゃんは、あのあとどうしたか?

 さあ、どうしたのでしょうね。

 5月になって、ゴールデンウィークに読まれたあなたが青森県の十和田湖畔などを旅されると、お泊まりになった旅館で彼女の噂を聞かれるかもしれませんよ。

「うちで掃除をしてくれている人がいて、なんでも諏訪のほうから来たって聞いたけどねえ、一見無口だけど、しゃべってみるとおもしろい人なんだよ……」

 とかなんとか。

 

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※注/TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」。司会は安住紳一郎。パートナーが中澤有美子アナ。

※注/「文芸編集者なのに、文芸に関心のない人がいるの?」と首をおかしげになるかもしれませんが、わりに大勢います。出版社は文芸雑誌だけを出版しているわけではありませんから。人事でたまたま文芸に配属されて「しまった」という人もいます。××社などが典型的な例です。

※注/小口姓は諏訪に多い。小口のほかにも、『リアル・シンデレラ』の登場人物は、小口さんはじめ長野県出身の知人から「長野県に多い苗字」を聞いて使わせていただきました。