『青春とは、』姫野カオルコ著

 私たちが失ってきたもの
産経新聞2020年12月15日


てっきり死語になったと思っていた「青春」が「とは、」を伴って帰ってきた。コロナ禍で皆が孤独な今、振り返る1970年代の高校生の群像は鮮やかな印象を残す。

舞台になっているのは村上春樹の小説に登場するようなおしゃれな進学校でもなく、宇崎竜童の歌詞になりそうなかっこいい不良の集まる高校でもない。滋賀県にあるごく普通の共学の公立高校だ。しかも主人公の明子は痩せろ、と男子に注意され、「暗子」とあだ名で呼ばれるようなさえない存在である。往年の青春小説が書くのを避けたかのような地味な女子高生がなぜか面白く浮かび上がる。。

明子は厳格すぎる家に居場所を持たない。しかし男子とも親友になれる中性的存在として人間関係の調整役となる人間力を備えており、学校を逃げ場にしている。

身勝手で個性的な高校生たちは、「校則はないに等しい学校」でもめ事を起こしつつ、だがお互いを許し合って存在している。生徒ばかりではない。影が薄くクラスをまとめられない先生、―――(ネタバレのため一部略)保健の先生など今なら到底存在を許されないであろう教師も何となく居場所を持っている。

問題だらけな学校だが、水清ければ人棲(す)まず、とばかり意外に居心地のよい場所となっているのだ。

秋吉久美子やミッシェル・ポルナレフが輝き、日本赤軍の重信房子はその経歴を忘れられ「美人」のカテゴリーで語られるような時代。フラップで回転する文字盤のデジタル時計、ラジオの深夜放送が身近だった時代。高度経済成長の上り坂にあり、あらゆる価値がフラットになり始めた時代は、地方がまだ元気だった。そういう時代にひととき開けた自由広場のような学校だ。

「今からすれば」はこの本のキーワードとして過去は今と密接につながっていることを強調する。今との関係で過去は見え方を変えることもある。著者のディテールを光らせる文体が描き出す人間模様のリアルを楽しみながら、しみじみと私たちは何を失ってきたのかを考えてしまう。「青春とは、」の「、」が心に残る。(文芸春秋・1500円+税)

評・川野里子(歌人


姫野カオルコ『青春とは、』著者インタビュー
『オール讀物』2020年8月号


ツ、イ、ラ、ク』で中学校を、『彼女は頭が悪いから』で大学を舞台にした姫野さん。この度の新刊は、一九七〇年代半ばの滋賀の県立高校が舞台だ。

六十代の乾(いぬい)明子(めいこ)は、コロナ禍で、ふとしたきっかけで高校時代を思い出す。暗い家庭の中で身を縮こませるようにしていた当時の居場所は学校だった。

「自分の青春時代を描くと、思いの丈ならぬ“思い出の丈”を情感たっぷりに叫びがちですが、そうではなく、同世代以外の人にも伝わるように書きたかったので、落語の地噺のように所々に当時の説明を挟みました。

そのためには、大人になってから当時を振り返る視点も必要でしたし、そうすると自然と自分が投影されていったのです」

ニュースでしか知らない学生運動、大学生が参加するバラエティ番組「ラブアタック!」、大好きなミシェル・ポルナレフ……。

当時を彩った固有名詞がちりばめられつつ、描かれている心情や、ちょっとしたことにも「針をびゅんびゅん揺らせてしまう」自意識には、誰しも心当たりがあるはず。 まだスマホもコンビニもなかった頃、地味な生徒だった明子が牧歌的な高校で過ごした日々は、青春という言葉から連想するようなキュンとする恋愛や、部活で流す爽やかな汗、逆に、苛烈なスクールカーストもない。

だが、そこにあった十代特有の繊細な感情は、やはり“青春”そのものだった。

共学ならではの男子と女子のやりとり。その楽しさと、そこに潜む無邪気な残酷さも読みどころだ。

「男子が性的なことをあけすけに話すのに理解を示すのが、女子として良いことだと思っていたんですね。それができると、男女を越えていろんな話ができて面白かったんです。 ただ、今なら、逆に女子がそんな振る舞いをすることは許されないし、容姿が劣るので男子から異性として見られないぶん、“話のわかる女子”という立ち位置を得ようとする ことが、一種の幼い無知であったこともわかります。

それでもやっぱり、共学って楽しかったし、いい経験だったと思うのです」

明子が進級した「3の7(サンノナナ)」は、音大美大を目指す生徒と体育が得意な生徒、それに理系志望者たちがごちゃまぜになった新設の「芸術クラス」だった。

「“いっしょにトイレに行く人が決まっていない”と書きましたが、私が三年の時にいたのもそんなクラスでした。みんな勝手気ままで、大人の距離感を保っていて、なんでもないことがすごく楽しかった。

直木賞のパーティーに集まってくれたのも当時の同級生です。大人になってからも、このクラスで過ごしたことは私の支えになっています」

【プロフィール】80字
ひめのかおるこ 一九五八年滋賀県生れ。
九〇年『ひと呼んでミツコ』で単行本デビュー。
『昭和の犬』で直木賞を受賞。近刊にエッセイ
『忍びの滋賀〜いつも京都の日陰で〜』等。




Book Interview
ミセス 2021 4 月号( ラスト号)
取材・文 辻さゆり


都内のシェアハウスに住んでいる乾明子(めい こ)は、アメリカの歌手マドンナと同年生れ。定年退職した今はスポーツジムで働いている。

新型コロナウィルスでジムが休館になったある日、クロゼットの棚にサミットストアの棚を見つけた。入っていたのは借りたままになっている本一冊と、通っていた滋賀県の県立高校の名簿。

そこから明子の記憶は一気に昭和50年の高校時代へと遡る。

「私より少し年下の編集者に(雑談で)高校時代の話をしたら「おもしろい」と言ってくれた。それで調子にのって、こういうこともあった、ああいうこともあったとメールで送っていたら、まとめて小説にしませんかと言われ、本格的に原稿として書き始めたのです」

明子が心陶しているフランスの歌手、ミッシェル・ポルナレフはじめ、山口百恵、情報誌「FMレコパル」、テレビ番組「ラブアタック! 」等々、当時。を知る人にとっては懐かしいキーワードがちりばめられ、読む者にはあのころに見た風景や匂い、音がよみがえってくる。

「気をつけたのは、同世代の人だけでなく、どの世代にもわかるようにすること。それで〃今からすれば〃という言葉を差し挟んで、〃現在の視点〃を入れていきました。いちいち注釈を入れると読み手は煩わしいし、明子の心中表現にすれば、ティーンの感性としては不自然になる。読む流れを妨げることなく、自然に読み進めていってもらえるようにしたかったのです」

固有名詞は(世代によって)変わっても、好きなアイドルやミュージシャンへの入れ込みよう、はやりのテレビ番組やCMへの反応は、どの世代も変わらない。

それにしてもあの当時の雰囲気まで鮮明に再現できたのは、もしかして日記をつけていたから?

「いえ。私は細かいことまでおぼえていて、それで苦労しているのです。超記憶症候群という一種の病気らしく、

5、6歳の小学校入学前のことも詳細に色も臭いも覚えている。 いったん思い出すと思い出した時代に行ってしま い、はっと気づくと3時間くらいたっていることもしょっちゅう。

当時に言おうとしたことを、(自分では知らないうちに)道路や車内で声に出していて、その声でまたはっとびっくりすることがよくあります。

通らない声質なのと、今はスマホのコードレスイヤホンで話している人もいるため、気づかれにくいので助かっているのですが……」

物語の後半、満開の桜の下、現在の明子が、公園に祖母の車椅子を押してきた孫をみかける場面が印象的だ。

大学入学が決まったばかりらしい孫の、ある言葉を聞いたとたん、つきそい女性も、祖母も涙をあふれさせる。みかけた明子も。

孫と、つきそい女性と祖母とそして自分の違いが明らかになる場面である。※

明子は、かつてのクラスメートに「クラス会にも同窓会にもこなくていい」と思う。そして祈るのだ。「でも、いてくれ(以下略)……」と。

最後にタイトルの「、」の先に込めた思いについて聞いてみた。

「それは読者にゆだねたい。それぞれ読んだかたに、答えを出してほしいと」



姫野より実話注
「『ミセス』や『ゆうゆう』といった雑誌のインタビュアーさんは、私と同世代でしたが、ほかの媒体で、29歳のインタビュアーさんに取材を受けたとき
「自分が生れていなかったころの高校生活なのに、ものすごくよくわかっておもしろかったです」
と言ってもらえたことが、工夫をした甲斐があったと、たいへんうれしかったのですが、

が、そのお若いインタビュアーさんが
「ただ、最後にひとつよくわからなかったことがあって…。 桜が咲いているシーンで、なぜ、おばあさんやヘルパーさんや、それに明子は泣いたんですか?」
とおっしゃって。

びっくりもしましたが、同時に、「ああ、『青春とは、』に書いたのは、まさに真実だったと、別の意味で書いた甲斐を感じました。

*****
姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)
姫野嘉兵衛の別表記もあり。2014年『昭和の 犬』で直木賞、19年『彼女は頭が悪いから』で柴田錬三郎賞。作品によって文体や雰囲気が異なり、他に『ツ、イ、ラ、ク』等多数の著作がある。
*****


週刊ポストブックレビュー「著者に聞け!」
2020・12月掲載(構成・橋本紀子)
青春時代だけが恥ずかしいわけでなく人間は死ぬまで恥ずかしく生きていく

起点は令和2年3月現在、南武線沿線のシェアハウスに住み、ジムのインストラクターを昨年からしている、<マドンナと同年生まれ>の私こと<乾明子>。コロナ渦もあり、<一昨日からは、ずっと記憶を見ている><サミットストアの袋に入れていた物を取り出したら、昔のことを思い出して、まるで映画を見ているように目の前に鮮やかに見えるのである>という明子が<滋賀県立虎水高校>で過ごした日々を、姫野カオルコ著『青春とは、』は描く。

袋の中には<本が一冊、名簿が一冊>。特に本の方は<犬井くん>に借りたままになっているのが格好悪く、その恥ずかしさがさらなる恥の光景を呼びこむような、昭和50年代の青春記である。

「きっかけは確か『週刊ポスト』です。河合奈保子は作詞作曲もでき、学生時代から楽器に親しんでいたみたいな記事があって、私は『ん?学生時代は大学からで、中高は生徒時代でしょ』と思った。その話を担当の編集者にしたら、『姫野さんの学校話は細かくて可笑しいですね』と言うので、こんなことやあんなこともあったと、お手紙の形で書き送るようになって。それを長編に書き直したものがこの本。胸キュンな恋愛話も部活の熱い話も出てこない、片田舎の公立校の放送部員の地味〜な日常の話ですが、数から言ったら何もない方が断然多数派で、<フツウな青春>だろうと思う」

<自分クラコにせえ><今日から暗子て呼んだる>と一方的な呼称変更を告げる犬井くんは、明子の一学年上の柔道部員。その親友で女子にモテモテのサッカー部員 <中条秀樹>のことも明子は君付けで呼び、上下左右全てに緩い校風を漢字四文字にすれば、<暢緩儘遊>だ。

そんな虎高で巻き起こる様々な珍騒動が、本書では令和の明子の視点で綴られ、第1章「秋吉久美子の車、愛と革命の本」から終章まで、昭和50年前後の風俗が盛り込まれるのも楽しい。

<クミコ、きみを乗せるのだから>のCMで話題の日産車を、シベリア帰りの父は役所との往復だけに使い、定時に帰るなり高級料理本を広げ、<軍鶏と百合根と椎茸の茶碗蒸し。だしは利尻昆布ではなく羅臼昆布でろれ>と命じられたら最後、手抜きは一切許されない。

一方父との結婚そのものに失望する相銀勤務の母親は食にも料理にも興味がなく、<わが家は厳しくない。たんに暗い>と明子は思う。

そんな彼女を「暗子」と無邪気に呼べる犬井くんは、京都駸々堂で買った『わが愛わが革命』に感激。<重信さんは美人や>と言い募る彼に自作の詩の感想を求められた明子は、<オナニーをしていたから電話にでられなかったと単刀直入に説明される女子>でもあり、そんな共学育ちの女子の騎士道精神>の行方も興味深い。

「もちろん、今だから言語化できるんですけどね。

私は10歳前後の主人公が自分の気持ちを理路整然と話す小説や映画を観る度に、『あり得ない』って思うんですよ。語彙がないばかりに闇の中にいて、ひたすら『違う』と思ったり、でも何が違うか説明できなくて、もどかしかったりするのが、子供の時代だと思うので。

特に私は今話題の超記憶症候群を疑うほど昔の記憶が鮮明で、時折押し潰されそうになるんです。それが苦しくて書くと、気持ち悪さが多少和らぐ。残像が消えてくれる。言葉をあてがい、理論的になることで、スッと楽になれるんです。」


誰も欠けていない時間はとても尊い

家族という<小隊化した空間>を怖れる明子にとって、<アタシ達のヒデキ>を巡る女子の鞘当てや、保険教師<大谷沙栄子>の着任以来、男子が妙に保健室に入り浸る問題はあるにせよ、虎高は平和そのものだった。「私自身、家より学校の方が圧倒的に居心地がよかったんですね。特に<堀越学園芸能コース>と綽名された3年7組は、同調圧力皆無なクラスだったので。

滋賀県民の溜まり場、平和堂のフードコートにもよく制服のまま行きましたし、わが家では<「学校」という名分>が最も有効で万能な呪文だった。そのおかげで72年の京都会館にミッシェル・ポルナレフを観に行き、握手したのは本当の話。引率を頼んだ東出昌大先生が実際は行けなかったり、浅田美代子ちゃんも含めて実名じゃなかったり、細部は結構創作しました。

でも、大谷先生が保健室で何をしていたかを、後に大学時代の中条くんも出演する『らぶあたっく!』の伝説的みじめアタッカー、<百田尚樹に話したい>のは本当の話です(笑い)」

<青春とはすべて、かっこ悪いの上塗り>とあるが、その共有者には既に亡くなった人も少なくなく、<同窓会にも来なくていい><でも、いてくれ。いなくならないでくれ>と明子は思う。

「この中に青春のどっちがセイでシュンかよく混乱する同級生が出てきますが、私は彼女の訃報を聞いた時、永遠だと思っていた足元がスポンと抜けた感じがしたんですよ。誰も欠けていない時期の尊さを思い知った。しかも最近はセコかったり図々しかったり、以前とは別種の恥ずかしい人によく会うんですね。60、70代の。つまり青春時代だけが恥ずかしいんじゃない、人間は死ぬまで迷惑をかけ、恥ずかしく生きていくんだなあと、これも今の歳になって思えたことの一つです」<悲しかったり腹がたったりしたことが、今は、「そういうものだわネ」とオカシくなる>。確かに45年の歳月が、桜を見てただ<満開だ>とだけ思ったあの頃の愚かさも愛しさもありのままに享受させるのだとしたら、それは本当に素敵なことだ。