◆◆ヤフーブックス インタビュー◆◆
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テーマごとに文体を自在に操る筆力をもとに、生きることの悲しみと滑稽さを、清明な視点で描き続ける。でも恋愛小説は大の苦手…ダッタ姫野さんが、渾身で挑んだ長編恋愛小説。恋の歓び、痛みに真っ向から挑んだ本書は、ひりひりするほどピュアにエロティック。しかも、読むと恋愛体質になるという評判も!
【プロフィール】 姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)嘉兵衛は雅号。1958年滋賀県生まれ。非大衆的な作風だが、独特の筆致で男女同数の読者に支持される小説家。 青山学院大学文学部(昼間部)卒業後、画廊事務を経て、90年、出版社に直接持ち込んだ小説『ひと呼んでミツコ』がその場で採用され、単行本デビュー。 『ドールハウス』『喪失記』『レンタル(不倫)』の処女三部作、 『変奏曲』『受難』『整形美女』『よるねこ』『ちがうもん』など、ジャンルを超えた作品を次々に発表。 【インタビューinterview】
――まずはタイトルの由来から教えていただけますか? 「じつは、これ、『サイボーグ009』のイメージなんです(笑)。009と002が抱き合って墜落するという、"男性同志だけどとてもエロティックだ"と、アニメファンの間ではけっこう有名なシーンがあって。 で、そこから、"墜落"というイメージは、非常にエロティックでいいなと。 でも、漢字にするとシリアスになりすぎてしまう。これって、もちろん恋愛小説ですけど、ユーモラスな部分もいっぱい入っている小説でもあるので、じゃあ、カタカナにしようと」 ――たしかに、ユーモラスでもありますよね。ギャグも随所に散りばめられていて。 「はい。特に、いつもの幕末ギャグだけは絶対外さないと思ってました。 ごく一部には、"これ、今回はなくても良いんじゃない"という人もいたんですが、私の中では、新撰組こそ、恋愛を語るに相応しい集団だったのです。閉鎖的なところや、それにそもそも幕末という時代そのものが。なので強硬に押し切りました。 そしたらゲラが出たとたんNHKから、2004年の大河ドラマは新撰組だという発表があって……。異論を唱えていた人に、"どうだ"と(笑)」 ――なるほど、タイミング的にもバッチリだと(笑)。で、ちょっとエロティックに話を戻しますが、そもそも主人公の隼子という存在自体が、まさにそうですよね。 「私はこれまで、エロティックなというか、コケティッシュな女の子を描くのが苦手でした。 だけど、恋愛小説を書くなら絶対にエロくないといやだった。じゃあ、どうすれば……。そんなとき、"おお、一人いたいた"と思い出しました。 14歳でデビューしたフランス人女優のSさん。彼女が昔から大好きで……。だってどの映画もどの映画も恐ろしくつまんない(笑)。にもかかわらず彼女を見ると、血圧が急上昇するほどムラムラする(笑)。理屈抜きにエロい。 で、書いてるとき、いつでも彼女の関連サイトにアクセスできるようにしておいて、ちょっとでもパワーが切れてきたらバンと彼女の写真見てフルチャージにしていたのです」 ――とすると、フランス女優Sが、隼子のモデルだと。 「はい。内面は違うだろうけど、外見の描写は、ほぼそのままです。 すごい美人ってわけじゃなくて、お父さんもお母さんも有名な人じゃなくて、ごく普通のパリジェンヌって感じがする。髪も黒っぽいので日本人に持ってきても違和感ないんですね。ミラ・ジョボヴィッチとかアンジェリーナ・ジョリーみたいな感じではない。 彼女に比べると、叶恭子のほうが外人っぽい(笑)。 ――たしかに。で、そんな姫野さんの考えるエロの条件って何ですか? 「一言でいえば、うふふ。うふふと笑う要素こそエロですね。はっきりしないこと」 ――そういうエロスが、本書では、冒頭からもうたっぷり詰まっています。 「そう冒頭から! これ、ぜひ言っておきたいです(笑)。 帯に〃恋愛小説〃とあるのを見て、最初の小学生時代のシーンを"ここはプロローグなんだな"と思う方がいるようなんです。 恋愛小説なのだから大人が主人公に決まっていると思い込んで。けど、それ、間違いですね。 あとがきにも書きましたが、小学生でも大人でも恋愛の感情は一緒。 というより、むしろ小学生のほうが生々しいし、いやらしい。子どもって、大人と違っていろんなしがらみがないぶん、性欲もむき出しですから。 で、中学生になると、それに"好き?"というプラトニックな部分が加わる。 高校以上になるとさらにプラトニック面というより、経済状態とか立場とか、相手そのもの以外の状況も考慮しての人選意識が強くなる。 私は、この物語を、そういうグラデーションに構成したのです。 だから、冒頭は、決して居酒屋の"お通し"のようなものと思わないでください(笑)。 私は居酒屋では最初のビールのときこそメインの天ぷらを食べたいほうなので、この小説も、いちばん脂っこいメインのエロスを先に出して、次にカルパッチョとか刺身のような普通のを出して、最後に納豆おろしみたいなあっさりしたものを出したつもりなのです。 そのほうがお酒がおいしく飲めませんか?」 ――なんでも、姫野さんは、執筆中、ずっと"恋愛イタコ状態"に陥られていたとか。 「ええ。ほぼ1年間、ほんとに全然お腹すかないし眠くならないし、まるで覚醒剤をやったようでした(笑)。 あ、ほんとにやったことはありませんよ。 TVのドキュメンタリー番組で覚醒剤体験者が話していたのを聞くところによると、同じだなと。 まさにバラ色の日々でした。 この人たち(登場人物たち)の様子を見ているのが、とにかく可笑しくて」 ――見ている? それはつまり、姫野さんは執筆中ずっとこの小説世界の中に行っちゃってたということですか? 「はい。別に釈由美子の真似をしているわけではないんですが(笑)、最初に見えたのは、小さい田舎町の小学校の校庭ですね。 で、"ああ、私もこんな学校に通ってたなあ…"と思ってたら、いつの間にか、自分が透明人間になって校庭からげたばこを抜けて中に入って行って、それからずっと、彼ら(登場人物)の行動を見て、見えたものを書き写していった。 だから、本書では、創作の苦しみというのは、一切なかったです」 ――でも、恋愛の痛みは、それこそ登場人物たちと同じように、まともに受けたわけですよね、恋愛イタコとしては。 「それはもうたっぷり受けました。だって、密着取材をしているので、この物語には書かれていない彼らの事情も、私は全部見て知っているでしょう? たとえば統子ちゃんが部屋でひとり好きな人のことを考えているところも、塔仁原くんがクラスにコンドームを持ってくるまでの経緯も。 じつは、塔仁原くんがコンドームの話をお兄さんに聞いているところも、私は見て聞いてたのよ(笑)。 だから、彼がああいうふうに偉そうに喋ってるのを書き写してても、"ったくもう、全部、お兄さんからの受け売りのくせにィ"と思っていた(笑)。 物語の表面にみえる彼らの行動の奥の事情まで全部知っているので、彼らがつらいときには、自分もつらくなるわけです」 ――だから、登場人物それぞれの恋愛心理も、とてもリアル。本書を読むと、こんなにさまざまなタイプの男女の恋愛心理を描き込んでいる姫野さんは、もしや恋愛の達人なのか? と。でも、じつは違ったんですよね(笑)。 「ぜんぜん違います。あとがきにも書きましたが、これを書く前は、私、恋愛小説や映画だけでなく、現実の恋愛も苦痛だったのです。はっきりしないから(笑)。 なんで、はっきりしないの? みんな忙しいんだから、たとえば、"5のつく日だけ会おう"とか"3の倍数の日だけ会おう"とか、決めときゃいいじゃないかと。 なんで、そんなに"今日会えるかしら?"とヤキモキするのか、まったくわからなかった。 まあ、今もその辺は変わりませんが、これを書いて、はっきりしないヤキモキが恋愛なんだなとわかりました(笑)」 ――というより、姫野さん自身も、本書によって恋愛体質に変わられたとか? 「惚れっぽくなったわけではありませんが、脈のない人はどんどん捨てる、それがコツだというのはよくわかりました。前は、このカードはどうしたらいいのか長々と悩んだりしてたのですが、脈のないカードはドンドン捨てるべきだったのね。 もし野口悠紀雄さんと対談する機会があったら"超恋愛整理法"を今度は書いたらどうですかと提案しよう(笑)」 ――それ、なんだか、とても納得です。私事で恐縮ですが、先日、別件で姫野さんと本書についてのお話をうかがったあと、自分も相当恋愛観が変えられたので(笑)。 「そうなんですよ。先日取材にきてくれた男性記者も、"告白されました"と、取材3日後に電話がありましたし」 ――男性もですか? じゃあ、本書は、まさに読むと恋愛体質に変わる本ですね。でも、どうしてそうなるんでしょう? 「自分ではよくわからないんですけどね。なにしろイタコだったので。 ただ、とにかく恋愛の着眼点は変わりますよね、異性を見るときの。 私自身も、"今までなんて無駄なカードに時間を費やしたんだろう、損したわ"としみじみ思いますから」 ――今も、その恋愛体質は変わらないですか? 「恋愛小説も恋愛映画も大好きになりましたね。今はサガンなんて読んじゃってますよ。男女の微妙なすれ違いがいいわあとか(笑)。恋愛って、個人というのが一番良く出る世界なんですよね」 ――さらに、どんな恋愛でも贅沢なものだともおっしゃってますよね。 「そう、恋愛というのは、基本的に幸せなことだと私は思います。 世の中には、病気とか不慮の事故とか、本当の意味での不幸なこと、つらいこと、大変なことがいっぱいあるんだから、片思いだろうがどんなに許されない愛であろうが、涙も含めて、それは幸せなことだと。 だから、私はこの小説にあるどの恋愛も、全然苦しいと思ってないんです。それぞれみんな、楽しく幸せだと思って書いている。だから、読んだ人にも幸せで楽しい気持ちになってほしい」 ――詳しく言えませんが、ラストも、とてもカタルシスがあって美しいですね。 「でも、若い人はそんなにピンとこないかも…。 若い人は、泣ける=良かった=切ないと感じる傾向が強い。どこかもの悲しさを残したラストをどこかで期待する。 でも、あるていど人生のにがさを体験した年齢にある人は、このラストじゃないと耐えられないと思う。 特に男性は。 若くないからこそ、あのラストの男のセリフが甘ったるいものではなく、恥と外聞をかなぐり捨てたものだとつたわるようです。 書くほうはそりゃ恥ずかしい。でも、こっちも恥をかなぐり捨てないと。 ただ、私としては、ジュリア・ロバーツの映画ではなく、せめてスーザン・サランドンの映画ぐらいにはダサクならないよう気をつけたつもりです(笑)」 と、滑稽さとは何かを感じる鋭いセンスはそのままに、超ストレートな恋愛小説にも新境地を拓いた姫野さん。ちなみに本書の番外編ともいうべき、『高瀬舟、それから』は、野性時代2月号に掲載される。 (藤原理加・2003年秋)
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