作品集『桃』 新刊発売にあたって サイト版コメント
姫野カオルコ
二〇〇五年四月一日より全国書店で発売開始の新刊は『桃』とい
うタイトルです。
角川書店より刊行されます。
『桃』を含め六話が収められています。短編集というよりは中編集
に近いかもしれません。
この作品集『桃』は、ある長編小説とコンビになっています。
でも、続編かというとそうでもない。
長編小説のほうを読んでいなくても、それと対になっていると知
らなくてもかまわない。長編未読の人を読者と想定しています。
かつて少年だった人の、かつて少女だった人の、心象風景が六話。
それぞれ文章の雰囲気がちがいます。それは本書が雰囲気ででは
なく、「田舎町ゴシップ」で括られているため。
六人の登場人物たちは全員、過去に『ツインピークス』のような
規模の町に住んでいました。現在も在住の人もいます。関西地方の
ツインピークスでは、過去に、事件と呼ぶにも至らない、あまりよ
くない噂というか、ようするに田舎町のゴシップが流れました。
六人達は、ゴシップの全貌を知っているわけではなく、なんとな
く聞いたていど。なかにはまるで知らない人もいます。が、当事者
もいたりします。当事者がいないと読者もそのゴシップがどんなも
のだったのかわかりませんから。
六人は過去の同じゴシップについて語ります。なのに同じできご
とではない雰囲気になる。六人それぞれ、通過した時間がちがうか
らです。
その人が存在していること。その人がなにかを感じること、思う
こと、変化すること。その人はその人の時間を歩いてゆく。時間の
質量は概ね年齢に比例します。
そう、作品集『桃』の主役は、時間なのです。
長編小説と対になっているというのは、この点においてです。
ただ、長編小説のほうは、時間は「影の主役」なので、影である以
上、十代や二十代の読者が読むと、読んでいただくことはもちろん
たいへんうれしいのですが、料理でいえば、スープと前菜とサラダ
と紅茶を飲食して、メインディッシュとデザートは残したような読
み方にならざるをえない(こんなことは本の営業的には伏せておく
べきかもしれませんが……)。
むしろ作品集『桃』のほうが幅色い年齢層に向くのではないかと
思います。六人それぞれのポジションから切り取ってあるので、た
とえ彼らと年齢が異なっても想像力で補いやすいし、六話ともカメ
ラアイが固定位置にあるから、読み手は時間というものをみつめな
おしやすい。
町でゴシップが流れた、それから後、あるいは前、その町に住ん
でいた六人はどんな時間を歩いていたか。それを描出すると、時間
というものが各人によっていかに異なるか、いかに多様かが浮き上
がってきます。どこにでもいるような人間、などといった言い方が
ありますが、しかし、人間はひとりひとりその人にしかない個性で
時間のなかを生きている。こんなあたりまえのことをつい忘れがち
な日々のどこかで読んでいただければ幸いに存じます。
*
補足として、長編のほうを既読の方へ各収録作品についての簡単
な紹介をしておきます。
第一話『卒業写真』。
主人公は安藤健二。「この人、だれ?」と思われるでしょうね。
長編のほうには登場しません。長編の主人公の一学年上の、野球部
の桐野龍と同じクラスだった男子です。安藤健二は、健やかな少年
が健やかな大人になったような人。彼の心象風景はそのまま、この
小説集のプロローグになるのではないかと思い、巻頭に配置しまし
た。
第二話『高瀬舟、それから』。
題名のとおりです。森鴎外の『高瀬舟』の読書会が図書室でおこ
なわれた後の数時間のできごと。六話のうちこの一編のみ、ずっと
過去を現在時制として書かれています。長編既読の方には懐かしい
というかサービスカットというか……。
第三話『汝、病めるときもすこやかなるときも』。
主人公は塔仁原頼子。長編小説では、クラスの土方歳三的女子に
粛清されかかった人。現在は市会議員の妻。人柄おだやかなおだや
かな彼女は、ある意味で最高の幸せを掴んだ人かもしれません。慎
ましくて「セックス」などということばすら一生口にしなさそうに
ない彼女の、謙虚でありながら正直な性のめざめの瞬間を、彼女な
りのことばで綴りました。
第四話『世帯主がたばこを減らそうと考えた夜』。
主人公は夏目雪之丞。数学教師。この一編がもっともヒメノ式だ
と感じる拙著の愛読者が多いと思われます。
男の作家は、かっこいい性欲はよく描かれていますが、男の生理
を意外に描いてくださいません。じゃ、私がこのネタいただきます
よ。買ったと。男の生理とそのぬきさしならなさを、男でも女でも
ゲイからでもなく、まったくのゼロ地点から描く試みをした一編で
す。
第五話『青痣(しみ)』。
主人公は田中景子。第一話の安藤健二同様、この人も「だれだっ
け?」でしょう。長編のほうで、若い国語教師が教科書にある「ふ
るさとの葡萄」を生徒に読ませているときに思い出す生徒として一
行というか一語のみ登場しただけの人です。
だからほんとに本書『桃』は長編を未読であろうが既読であろう
が、問題はない小説集ではあります。
田中景子は、田舎町のゴシップの、小さな加害者でした。罪責感
を上手く忘れられないまま大人になった。その寂しさを抱えて生き
ていて、だからこそとても清くもある。第五話は、そんな大人の女
性の現在を、少しだけ祝福する一編です。
第六話『桃』。
これは第二話『高瀬舟、それから』の女子生徒のほうの十八年後
の物語。二十年後じゃなくて、十八年後。勤めている精密電器会社
が大々的な組織改正による人事異動をおこなう二年前。この話に出
てくる、ラーメンにバターを入れる上司は、長編のほうで、のちに
主人公に自社製品のパッケージデザインをまかせることになって、
主人公といっしょに高層ビルの階段をおり、そして階下で主人公は、
ある人に会う……。
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