姫野カオルコ(姫野嘉兵衛)のブログ
http://only5.himenoshiki.com/
で処女三部作を推しているようですので、
ファンを(勝手に)代表して、僕からもご紹介しましょう。
処女三部作は、姫野カオルコの初期の長編小説のうち、アラサーの処女が主人公の三作品です。
「ドールハウス」角川文庫1997/7/25
;「空に住む飛行機」主婦の友社1992/ 6、講談社文庫1994/ 4/15を改題
理加子29歳。
「喪失記」角川文庫1997/12/25
;「喪失記」ベネッセコーポレーション1994/ 5/16の文庫化
理津子33歳。
「レンタル(不倫)」角川文庫2001/2/25
;「レンタル(不倫)」角川書店1996/ 7/31の文庫化
理気子34歳。
三冊共にKindle版は角川文庫2013/7/17です。
足かけ5年で出版された3冊です。
この間に、別に小説やエッセイ集が8冊出版されています。
第一作「ドールハウス」プロローグは、
ふつうの人。
ふつう。
ふつうのつきあい。
ふつう。
と、「ふつう」と言う言葉へのわだかまりが提示されています。
これが三部作を通して語られるモチーフ(と僕が考えているテーマ)です。
具体的な内容は、ブログから参照して下さい。
姫野先生は、直木賞受賞作「昭和の犬」授賞式のスピーチで、
「世の中には、世の中にいる人の分、マイノリティーな感覚、感受性があると思う。」
と述べ、多くのマイナーな感覚に接することが出来る作品を提供することで、
読者の人生を豊かなものにしたい。と(僕が理解するところ、)の意味の事をお話しされましたが、
このコンセプトは、この三部作から、既に取り上げられていたワケです。
僕の個人的な事情をお話しすれば、処女三部作に接する直前まで、日常の生活において、
自分の常識を「ふつうは、こうするでしょ。」と主張し、
僕に文句があるときは「ふつうは、そう言うことしないよね。」と罵る人と生活をしていて、
全く僕の個性を省みない人にうんざりして、
疲れ果てていました。
仕方がないので、ふつうの人の顔をして、おとなしく生きていくしかないな。と絶望の淵にいました。
そんなときに、
「ドールハウス」
を読みました。
「あぁ、「ふつう」にうんざりするのは、僕だけでは無いんだ。」
と闇の中に光明を見た思いでした。
おそらく当時からの熱狂的なファンは、皆この三部作に雷に打たれたようなショックを受けて(本サイトの管理人さんの表現(^_^;))ファンになったのではないかと思います。
だから、姫野カオルコのファンは、皆、人の個性を認め、
自分の常識を「ふつうは、こうだろう!」と高飛車な態度で押しつける人はいません。
まだお読みでない方で、世を忍ぶために致し方なく普通の人の仮面を被っている方がいらっしゃったら、
是非ともオススメします。
注:本サイトの管理人さんが雷に打たれたようなショックを受けたのは、処女三部作ではなくて「ガラスの仮面の告白」です。
当の僕は、処女三部作の以前に4冊の姫野カオルコ作品を読んでいて、「あはは。面白いなぁ」と、単なる優れた娯楽作家として認識しておりました。
ちなみに、僕が自分のホームページで記している「ドールハウス」の感想文(1998年9月に記している)を読み返そうと思ったのですが、「ふつう」を自称する人への、怨念にも似た、憎悪に満ちた、既に本の感想を逸脱した憎しみの呪い(笑)で、自ら記した感想文ではありますが、読むに耐えませんでした(^_^;)
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