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『蕎麦屋の恋』角川文庫 2004年発売

※管理人による意図的な誤読の解説とネタばれ有!

角川オリジナル編纂の文庫版。収められているのは「蕎麦屋の恋」「お午後のお紅茶」「魚のスープ」の三作。「魚のスープ」は97年3月に小説すばるに掲載された「ハーフムーン」を全面改稿して改題。

「蕎麦屋の恋」はサラリーマンの秋原43才とOLを辞めて調理師を目指す妙子30才の恋というには淡白すぎるぐらいのちょっとした出来事を描く。通勤電車で出会い、蕎麦屋でテレビを見ながら蕎麦を食べる。そこにはドロドロとした愛や恋の機微はない。なのに読者は自然に二人をやさしく見守っている自分を発見し、なんだか暖かくなるという不思議な魅力をたたえた佳作。

「お午後のお紅茶」は一転して、世の中のありがちなカルチャー教室的こだわりへの皮肉に満ちた作品。世の聖俗・美醜・善悪・常識と非常識・消費とエコなど、単純な二元論の一方に何の疑問もなく肩入れできる人種への問題提起は、時として大きな反発を受ける。それはどちらか一方からの反発ではなくて、両方からだったりするから始末に悪い。例えば姫野作品のある一作の一部分を取り出して見れば、二元論的な一方に偏ったものと誤解しがちだが、何作かを続けて読み全体像を見ると別の立脚点が現れてくる。それは相対主義的な理論的に正しい立場と「私」の中にある抗いがたい好き嫌い(非論理性)に規定される二元論的な立場の矛盾を、常に悩みつつも許容し意識的であろうとする孤高の哲学。

「蕎麦屋の恋」で、ちょっと不思議で淡く甘い気分(ほんとはそれだけじゃないはずですけど)に浸った読者は、この「お午後のお紅茶」で、いわゆる似非カルチャーに対して「そうだそうだ。こんなもん」と共感しながらも、ふと自分の中にある半端な似非の部分を発見し、人知れず赤面するかもしれない。

そうした流れで読むと最後の短編「魚のスープ」は、ちょっと曲者です。登場人物は「江藤(ぼく)」と、その妻「桜子」。そして江藤の大学時代の友人である女性「カズ」の三人だけ。典型的な中流の上ぐらいのライフスタイルを持つ夫婦と、資産家の家に生まれながら、その環境から離れて自分(私)を生きているカズ。

語り手の江藤は妻との関係に微妙な違和感を感じており、カズとは学生時代に恋愛とは違うが親密な関係を持っていた。スウェーデン在住のカズから送られてきた格安チケットで江藤と桜子はストックホルムに行く。まったく違った環境に身を置けば、子作りセックスのいい理由になるかも知れないという、ちょっと醒めた理由。もちろんカズに会ってみたいということもあった。

共学で育ったカズ、別学の桜子(江藤も)。人への気遣いをわからぬようにするカズと、わかるようにする桜子。−−−江藤はわからぬようにされる気遣いにはどう反応して良いかわからない。自分の身の丈を知り資産家の娘とはわからないカズと両親や夫の経済力をそのまま自分のものとして自然に受け入れている桜子−−−。江藤は桜子のそういうわだかまりのない素直さが好き。身なりにはどちらかと言えばこだわらないカズと女の子らしい服装が身についている桜子。−−−江藤は桜子のそれをかわいいと思う。ストックホルムを歩きながら、江藤はカズを合わせ鏡にしてあらためて桜子を見る。そして結局学生時代にカズに対して持っていた気持ちが、ひとりよがりで見当違いであったことを理解した江藤は、桜子に感じていた微妙な違和感を飲み込んで二人でいっしょに生きていこうと決心する。

最初の「蕎麦屋の恋」は、世の恋愛常識からちょっとずれた所を描写した「ええ話」。二つめは、わりとはっきり批判的な立場から似非カルチャーへの皮肉。で、最後はいわゆる倦怠期のディンクスカップルが小さな危機を乗り越えた「ええ話」だと・・・思いますか?

すでに書いたように二番目の「お午後のお紅茶」で、読者はどこかで内なる似非の存在を感知して、作者の皮肉が少し自分にも向けられている感触があるはず。すると順番からして最後の「魚のスープ」は、強烈な毒を含んだ作品なのかも知れません。

「せっかく外国に来たのだから日本では味わえないスープを食べるのがいい」というカズの価値観と「せっかく旅行に来たのだからガイドブックにある★印が多いホテルのレストランで食べるのがいい」という桜子の価値観。あるいは前述したように質素な服装のカズと、ひたすら女の子らしくフェミニンな桜子。確かに世の中ではカズタイプも桜子タイプもいて、その違い自体はたいした問題ではない。

問題はそうした違いを、自覚しているかどうか。カズは自分の魚のスープを食べようという提案が拒まれた時、代替案としてコンサートホールの階段でサンドウィッチを食べようと言う。ちなみにこの階段はかの五木寛之氏が60年代にストックホルムを訪れた時に、よく座っていた、と当時をよく知る人に聞いたことがあります。おっと脱線しそうだ。結局それが桜子の意に添わないことを知る江藤が、昼食は別々にしようと提案して一件落着。この時カズは、ほっとした顔になる。そこには「やっぱり」という理解がある。対して桜子は、一連の流れそのものがわかっていない。なぜ別に食べるのかが理解できない。私がお金を出すからいっしょにホテルで食べれば良いのにとしか思えない。自分を中心に置いたその世界が狭いのだ。勝手に叫べ! いや、あのその・・・。書いていて腹がたってきたぞ。

で、気になるのは両者をある程度理解できる江藤ですな。江藤はそれでも(いやそれだからこそ)桜子を選んだわけで・・・もう・・・勝手にすればぁと言いたいね。あーん。今回は格調高くアカデミックに行こうと思っていたのに、文体乱れまくり。このお話ってハッピーエンド? 学生時代の思い出を清算して未来を見つめる男の話? いわゆる「ちょっといい話」?

んなわけないぞ。

ことはちょっとした趣味嗜好の問題ではありません。この話は人間という存在における最大最高珠玉の価値である他人(あるいは異文化)への尊重と理解と共存への営みの挫折の物語なのです。いや、ちょっと風呂敷き広げすぎたか。姫野さんには「もっとお気楽な話なのよ。気張りすぎると痔になるわよ」とか言われそうですが。言わないか。小説における誤読の例としてどう? 結局格調高く終わらなかった。

●ヒメノ式で行こう!サイトのコンテンツ「ジキル式作品紹介」より

上の文章は文庫発売直後にサイトにアップしたが、「魚のスープ」に対するファンの反応はどちらかと言えば、
「そんなにひねくれて見ないで素直に"ちょっといい話"として楽しめばよいのに」という感じでしたね。確かにこの文庫は装丁から後ろのほうにある広告の選択にいたるまで、意図的に作られていて、その感じからすると私の読み方は無理に魚のスープを煮詰めて味が濃くなりすぎたかも。しかしこうして勝手に誤読しつつ楽しむ?ことができるのも姫野作品の味なんですよ。


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